社長コラム

令和3年3月1日

◇ 1年を経過したコロナ禍、完全に生活様式を一変させたが、困窮者の急増が叫ばれる中、困っている人々に何か手を差し伸べることは出来ないものか、救ってやりたい気持ちがいっぱいで可哀想でたまらない。

◆ 何故かを問うと、自分自身が昭和30年代母子家庭の中、15才~18才まで農業手伝いに明け暮れた日々と重なるからである。

◇ それは、昭和30年代の戦後経済復興の真っ只中であるが、初夏にかけて麦刈り,田植え,真夏炎天下の農薬消毒作業、そして秋の稲刈り,脱穀、冬は山へ薪取り、その間畑は鍬で耕し野菜作り、自転車とバイクで約7km離れた青果市場に耕作物を売りに行ってから学校に通っていたが・・・。 なかでも、田植えと稲刈り脱穀作業は耕運機と脱穀機を所有する近隣者の人と結いして作業する為、その人の耕作地まで手伝いしなければ成らず、特に稲の脱穀時にはかます(籾を入れるワラで作った袋、重さ約50kg)が何十俵も出来て、それを田んぼから農道まで担ぎ上げ耕運機まで運ぶ日が数日続いたが、それは苛酷な労働そのものであった。 そして、その中から少額の対価で家庭生活を送ってきたが、昨日のことのように思い出され、現在コロナ禍で困っている人々と結びつくからである。

◆ それで、今後ますます富裕層と困窮者の二極化が濃くなっていくと思うが、日本人である限り、誰もが健康的で文化的な生活を営んでほしいと切望したいし、現在支援金,給付金,補助金等の救済制度はあるものの、困っている人々の衣・食・住を考えた時、やはり収入を得て生活出来る働ける場所の提供が一番必要ではないだろうか!? 真に迫る救済措置が喫緊の課題であろう。

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