令和7年8月1日
◇ 今年も旧盆を迎える8月になったが、思い出される出来事が、昭和60年8月12日(月)午後6時12分、羽田から大阪へ向かった524人を乗せた日本航空123便ジャンボ機が群馬県御巣鷹山の尾根に墜落して、当時世界航空史上最大の航空機事故と言われてから、今年で40年になる。
◆ 当時、墜落現場の特定には目撃者情報に頼らざるを得ず、その目撃者情報がかなり錯綜していて、実際の救出救援活動には約15時間以上経過した翌日の午前中となり、生存者は4名だけという本当に痛ましい航空機事故であったが、旧盆を前にして、尊い命を一瞬にして亡くされた500余名の御霊に手を合わせて弔いたい気持ちでいっぱいでいる。
□ 話は更に回顧するが、私は生い立ちが母子家庭で苦労して高校までは卒業したが、大学の門をくぐる事が当時可能であったら、新聞記者か報道記者になることを夢見ていたし、このような大きな事故が発生した時には、誰よりも一番早く現地現場に出向いて第一報を発信して、救出救護活動に結びつく動きに奔走していた・・・・。と
■ その気構えは人の何倍も持ち合わせていたと思っているし、そしてその好奇心は今になっても正直変わらない。機敏に動いていく所作、私自身のDNAかも知れない。
◇ 我が社は今迄想定したことがない厳しさに直面しているが、決して怯むことなく何事にも好奇心を持ち続け、新しいアイデアを生み出して、次世代においても十分台頭できる杭木販売の供給基地としていきたい。